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バリでの出会い。

バリに飛んで、そっから何とかしてクタビーチまで乗り合いバスに乗り込む。トラジャで感じていた素朴でのんびりした雰囲気からは一変して『観光地』が私を出迎えてくれた。

まず庶民の足の乗り合いバスの運転手まで10倍近くの運賃ふっかけてこようとするし、しょっぱなから凹む。あぁ、バリで地上の楽園を体験、とはいかないのかも。と肩を落とす。

あまりの客引きの多さにショックをうける。『ドコイクノー?』って日本語かい!?と思わずつっこみたくなる。みんな日本語上手なんです。町で久々に多くの日本人を見て、あぁ。。。とさらに凹む。

とりあえずこんなところは抜け出したい、とシャトルバスでバリの中部のウブドへいく。たまたま隣に座っていたドイツ人のおばちゃんと仲良くなった。しっかり焼けた肌にしわが目立つものの、どこか年を感じさせない不思議な雰囲気を持つ人。ドイツでは税理士をやっているけど、一定の期間働いては、また休みを長期でとって旅行にでるらしい。今までもインド、ネパール、スリランカなどに住んだことがあるという。

話も弾んだから夕飯をともにしたんだけど、彼女はヨガとか瞑想もするらしく、仏教の話やら彼女の人生の話やらをしてとても興味深かった。そこで話していたのは以下のような内容。

-執着から苦が始まる。そしてRE-ACTではなく、まず物事をACCEPTすることが大切。受け入れてからクリアの視野でACTする。投げられたボールを打ち返すのではなく、キャッチしてから考える。そしてそこから行動する。それが大切ー

でも実際にそんなことは可能なのだろうか。ちょうどその時、レストランの隣の席に同い年か私より少し年下の男の子と、白人の男性が座って食事をしていた。私はその二人の関係がいったい何なのかがとても気になっていた。ただの知り合いにしてはどうにも不自然。先生?いや、もしや買春???
モヤモヤしたものを抱えていたのでそれをおばちゃんに伝えたら、物事に執着せず、ましてや他人の事には干渉しないこと、と返された。

でも果たしてそれが一番なのだろうか?もしかしたら正しいかもしれない。けれど私がありたい姿はそうじゃない。私は人と人との間に生きているし、それが面白い、楽しい、嬉しい、悲しい。すべて喜怒哀楽があってこその人間なんだ。人とかかわりあって人生なんだと思う。俗世を捨てた先にある平安に何があるんだろう。涅槃の浄土にこのような人生の喜びがあるのかと疑問に思っていしまう。

(もっともこれは私のような極めて恵まれた状況に暮らしている人間だからこその思いなのだろうけど。もしも苦境に立たされて暮らしていたら、このような考えは持たないだろう。)
by sykkngw | 2006-04-05 15:32 | Journey to Indonesia
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