ラオスに抱かれる



12月23日

今日はトレッキングの日という事で9時に旅行代理店集合。寝ぼけ眼を擦りながら歩き、到着。出された卵とバゲットをかじりながら隣に座ったイギリス人と雑談。彼らは一年半くらい前にイギリスを出てからオーストラリアでワーキングホリデーで一年間働いてその後東南アジアを旅しているという。それにしてもイギリス英語なせいなのか彼ら自身の訛りのせいなのか、とてつもなく聞きづらい英語だった。それでも結構寒いのにも関わらず、季節感ゼロでタンクトップに半パンの彼らの笑顔はなかなか素敵だったので良い一日の出だしだった。それにしてもあれば寒いだろう。

迎えのバンに乗り込むと中には二人の白人の女の子たちがすでに座っていた。挨拶しても返事がなかったため、あぁそっけないのね。。と多少しょげたが、後から話してみるときちんと話ができたので良かった。彼女らはスウェーデン人の24さい、25さいの二人組みでスキーリゾート地のレストランのシェフとウェイトレスをしているとのこと。その休みを使って二人で旅行に来ているという。東南アジアでは意外と北欧の旅行者を多く見かける。多いのは韓国人、オーストラリア人、フランス人、ドイツ人、日本人、イスラエル人、北欧人、などだ。私にとってイスラエル人は未知の領域だったが、こんなに海外旅行者が多いという所からも発展が伺える。旅行をして色々な国の人と出会うのも旅行の楽しみの一つだ。

まずバンに乗せられて着いたのはとある洞窟。洞窟の中に仏像があるのでそれをざっと拝観してからスタート、とのことらしい。その洞窟の近くに猿が短いくさりで木に繋がれていた。それは本当に腹だたしかったが、更になんと村人がタバコを猿に与えていたのだ。勿論タバコなんて食べさせたら、あんなに小さい猿の身体にとってとてつもない害を与えるのは知るに容易い。怒りと共に思わず叫んでしまった。一体何を考えているのだろう、はたまた考えていないのだろうか。それともただ単にタバコを食べたら毒だという事実を知らないのだろうか。もしその事実を知らないのだとしたら本当に教育の大切さを身にしみて感じる。私たちにとって当り前の大前提としてあるような事実を知らない人々はこの世に多くいる。エイズの問題も然り、そのような問題をなくすにはまず教育が必要なのだ。

その先のどかな道を歩いて着いた先の二つの洞窟に入る。確かに鍾乳洞としてはきれいだが、これといって感動を伴わない。電気なしの洞窟の中、頭につけたヘッドライトだけを頼りに歩いていったが、このヘッドライト、乾電池とかそんなものじゃなくてバッテリーごと肩からさげて持ち歩くというちょっと古典的な代物。いやぁ、時代を感じるなぁこの国は。ちなみにこの洞窟の近くに『ガイドなしでの洞窟内への立ち入り禁止』というたて看板があったが、ガイド曰く、数年前にガイドなしで入っていった白人男性がヘッドライトのバッテリーも切れてしまい、そのまま出られなくなってしまったという。彼の亡き骸が発見されたのは洞窟に入って2週間後の事だったという。絶対に一人ではいったりしない。絶対。ラオスの洞窟で遺体となって発見、とかホント洒落にならない。

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昼食を済まし、歩く事数十分。次に着いたのは川の洞窟。洞窟マニア?って言うほど洞窟ばかり連れて行ってくれるけど、今回はちょっとすごい。川の洞窟をデカイ浮き輪に乗って探検するのだ。これは少年好奇心を駆り立てるには絶好の代物。しかし、、、想像してみよう。このデカイ浮き輪というのに乗ったところで普通に考えてお尻ずぶぬれ。どんなに器用に頑張ろうにもどうしようもない。そして、この時の水温は定かではないものの、とても冷たい事は間違いない。

『あ、俺やらない』 はい、脱落者一人。その声につられてりえさんもその場を立ち去ろうとしていたが、『こんなチャンスは滅多に無い。日本じゃできない。』と私の必死の説得の甲斐もあってか、りえさんも参加決定。実際、こんなの日本じゃできない。浮き輪にのっての探検の安全性が何も保証されてない上に更にここもバッテリー剥き出しのヘッドライトを自分で持っていかなければいけないのだ。
ん・・・どういうことか。浮き輪+水+バッテリー →落ちたら感電。
わーぉ。ヘッドライトとして頭に巻きつけてるわけだから一瞬で死ぬたりするのかな。。。そんな事を考えつつも順番がやってきた。普段は親に猿知恵と呼ばれる私も、今回はちょっと頭を使って浮き輪二段重ねでちょっとした椅子のようなものを作って乗り込む。これがなかなか安定がよくって出だし順調。他の人が『ぎゃー、お尻ぬれたぁ!』とか言っているのを横目にすいすいと進む。進み方はというと、洞窟内の順路に張り巡らされているロープを手で手繰って順路ぞいに進むというもの。最初は良いのだが最後の方は段々疲れてきた。疲れて進みが遅いとすぐ後ろを行くガイドのウィリアム(24さい)がドンドンとついてくるから急かされる。彼、冗談なのは良いけど、こっちが必死に濡れまいとしているのを知っているのに、平気な顔して水をかけてくるから、これまた変り種ガイド。こんなに無邪気なガイドには初めてあった。けれど、お願いだから水かけないで下さい。
洞窟の中は青い水が美しく、いったん中で浮き輪からでて歩き出すとそこはとても狭いくて穴の中を歩いているような感じだったため、歩くのには苦労した。りえさんはこの時来なければ良かったと内心後悔していたらしい。物凄く美しいわけでもないが、十分面白い体験をできたので満足。

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すいません。この先書いてません。
ってことでここにて失敬。
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# by sykkngw | 2006-07-06 18:57 | Journey to Laos

ラオスへの道

随分と時を遡って、去年の暮れのお話。
かなり時差がひどいですが、ご了承を。

ラオス旅行記

12月19日


8時45分フアランポーン発、ノーンカイ行き。これに乗るべく8時20分に駅集合。そもそもこの旅の切欠は、当初の予定ならばそのままラオスも周る予定だった先のベトナム旅行を途中で切り上げて帰タイしたけど、すでにラオスのビザも取得していたので、ビザの有効期限の関係でこの休み中にラオスに行くのが望ましい、という事でいったのだ。しかしいつ行くか、何日間いくか、誰といくか、などの予定も曖昧なまま直前になって全てが決まったのだ。お得意のパターン。何も問題がなかったから良いものの・・・お父さん、お母さん、ごめんなさい。

今回は同時期にはじめという男の子がラオスにいくというので、最初の数日間を便乗させてもらう事にした。彼もタマサートで留学生として一緒に勉強していた仲間の一人。彼はニックというスイス人と、りえさんという日本人の女性とすでに一緒に行く予定を立てていたらしく、そこに混じってしまった。ニックもタマサートの学生なので面識はあるし、一緒に遊んだ事もあるが、まさか一緒に旅をするとは思っていなかったという仲。さらにりえさんとは全く面識がなく、全てが謎に包まれているままこの旅は始まったのだ。ちなみに19日にバンコクを出るところから始まり、23日の朝にバンコクから追ってやってくるタイ人の友達と合流する予定だ。さぁて、予定は未定、何が起きるかわからない、そんなムード満点。これも旅の醍醐味?

はい、来ました、一発目。待ち合わせの8時20分、まだ誰もいない。8時30分にはじめ、りえさんと合流。あぁ、この人がりえさんなんだ、背高い人だなぁ、なんてボヤッとしていられるのも束の間。ニック・最初のメ-ル『遅れる。』
いや、ちょっと待てよ。遅れるといっても、その時すでに8時35分。一体何分遅れるんだ。

ニック・次のメール『電車に乗る準備をしておけ。』
いや、こっちはもう出来ているけど、あなた一体どこですか?
悪い事は重なるもので、はじめとりえさんのチケットも全てニックが持っているという。慌てふためく私とりえさん片目に、このトラブルをも楽しむはじめ、只者ではない。取り敢えず、乗るか?そるか?乗ってから、車掌さんに片言のタイ語と涙目で訴えれば何とかなるさ、マイペンライ。(大丈夫。の意)タイで培われつつあるマイペンライ精神(なんとかなるさ精神)の発揮しどころ。図太く生きよう。

慌てて駅の売店で買った生ぬるいソーセージを揺らし、息を切らして、電車に飛び乗る。
車掌さん『切符はどこだ?』
はじめ&さやか&りえさん『友達が持ってるんです!でも友達遅れちゃって、まだ来ないんです!本当なんです!インディアン嘘つかないんです!』といったかどうかは別として、涙目で訴える。
あぁこんな時の為に目薬を常備しておくんだった。詰めが甘かった。
車掌さん『あぁ、そうか。わかった、わかった。マイペンライ』
おぉ!やっぱりマイペンライなのか!すごいや、タイって国は!!取り敢えずは席につき、不安げに携帯をいじる。ニック、何処(いずこ)よ・・・
ニック・メール 『次の駅で乗る』
はじめ・メール 『もう二つ目の駅過ぎたよ』
ニック・メール 『三つ目の駅で乗る』
一同 『本当かよ!』
取り敢えず、私たちにできるのは待つ事のみ。三つ目の駅。電車は容赦なく速度を落とす。遂に停車し、ホームのアナウンスが耳を掠る。
『※★≦≠∴』・・・
固唾を飲んで電車の出入り口を見守ること十数秒。闇の中、遂にあの男が現れた!この時ほどニックが輝いて見えた事はなかった。まるで赤いビロードの絨毯を歩いているかのように、乱れた髪を振りかざしながらも堂々とこちらに向かってくるのは、紛れもなくニック、その人だった。
感動の再会も束の間、たどり着くまでの過程を聞いて驚いた。彼は何とまるで映画のスターかのようにバンコクからバイクタクシーをかっとばして来たと言う。電車より早いの?!そりゃ髪の毛も乱れるわけだ。おまけに500バーツ払ったと言うから、さらに驚嘆。500バーツといったら日本円にして1500円くらいだけど、ここはタイ。この寝台列車が420バーツだからそれよりも高い。恐れ入りました。この夜、彼は『Nothing is impossible』といことを身をもって証明してくれた。ありがとう。少し勇気をもらった夜だった。

初対面のりえさんともボチボチ会話の糸口を見つけつつ、話を進める。それにしても異色の四人組だな。この先なにがあるか分からない。そんな謎めいた匂いのする旅の始まりの夜を締めくくるのはビールだった。どうやら皆ビール好き。各々ビールを持ち寄り、ニックは更に車内販売のビールも購入し、飲む。そして赤くなり、ちょっと気持ちよくなる。というかビール買って持ってくる暇あったら時間通りに来ようよ。まぁ、終わり良ければ全てよし、ということでマイペンライにて幕を閉じた一日目の夜だった。


12月20日


寒い、寒いぞ。もぞもぞ。オンボロ電車の隙間風に体温を奪われ、何度となく目を覚ます。三人はノーンカイについてからビザ申請の為に旅行代理店を通す。この時に私は帰りの電車のチケットも予約。しかしタイ人の友達の予定がまだ良く分からないので仮押さえにしておく。それからイサ-ン料理を食べに繰り出すものの、嫌な予感。ニック、はじめの二人は辛い物好き。りえさんも苦手じゃない。私、どうしましょう。結構肩身が狭い。あぁこれから辛いものいっぱいのラオス料理が待っている。過酷な旅となるかもしれない。覚悟をきめた。

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陸路にて国境を越え、ラオスの首都、ヴィエンチャンに向かう。『Hello, TAXi,TAXI!』の声に付いて行って乗せられたのは古い洋車。これがまた年季が入っている年代モノで、もしや植民地時代から・・・とその歴史を偲ばせる佇まいだった。国境を越えてすぐに景色が一変するかというと、そういうわけでもなく相変わらず東南アジアの田舎町の一角、という様子だった。

いや、おかしい。国境から首都まではそう遠くないはず。タクシーでものの30分くらいで市街に着くはずだ。首都から車で約30分の所ですでにこの様子。一体首都はどんな町なんだろう。

ドライバーに着いた、と言われ降り立ったヴィエンチャンの中心部は小さな町。そして人もあまり見えない。確かにゲストハウスや横文字でかかれた看板はちらほら目につくものの、本当に国で一番の都市なのだろうか、という位静かな町だ。それでもバンコクのゴミゴミした環境に嫌気が差し始めている私にはこれ位静かな町の方が心地よく感じられた。

宿を決め、初めての観光に乗り出した一行は手始めにワット・シーサケットにいった。どこかで聞いた名前だ。地図を見るとそこらに点在する寺院の名前の多くはタイでもお馴染みの名前ばかりだった。ちなみにラオス語はタイ語と酷似していて、さらにラオス人はタイのテレビを見ているのでタイ語が話せるのだ。それは今回の私たちの旅に非常に役にたった。交渉でも、世間話でも、何でもタイ語で話せるのでよりスムーズに旅ができた。ワット・シーサケットは過酷な歴史を経たにも関わらず、ビエンチャンで一番保存状態がいいと言われている寺院だ。寺院自体は割と小さく、首都で一番の寺、というには多少物足りない様にも感じられた。やはりタイでいつも豪華絢爛な寺院に見慣れてしまっているせいだろうか。しかしこの国の歴史を思い返せば、それも無理はない。ずっとフランスの植民地支配を受けて、更にその後は内戦、アメリカの爆撃などを経て現在に至っているのだ。そんな中でこれらの寺院を何とか守り続けるだけでも至難の業だ。境内の至る所に傷跡は残り、特に無惨だったのが、フランス軍や内戦によって傷つけられ、手足、頭、砕け散った仏像が一箇所に無造作に積み重ねられていた光景だ。もし彼らの声が聞けたのならば、きっと静かに偲び泣いているだろう。歴史の証人は物言わずとも、この国の背負ってきた歴史の悲惨さを表していた。

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さて、寺院見物を終え、散歩でもしようという事で繰り出したは偉大なるメコン川。川沿いに並べられた椅子に座ってビアラオ(ラオスビール)を頼めば、そこは立派なビアガーデン。ビアラオを飲むのは、一度友達がラオスに行ったときに買って持って帰ってきたのを頂戴した時以来だ。ビアラオと雄大なメコンの流れの組み合わせに感動し、はしゃぐ一行。カンパーイ!いやぁうまいねぇ、ビアラオは。そしてたまらないね、メコン川。ゆっくりと、しかし着実に太陽が西に吸い込まれるように沈み始めると、それまで青く澄み渡っていた空が少しずつ桃色に色づき始め、太陽はオレンジがかりラオスの一日の終わりを光で包んでいった。ビアラオのグラスの中に太陽を捉え、太陽ごと飲み干すと、夜がやってきた。この日暮れとメコン川とビアラオと異色の四人の取り合わせ。新たな人との出会い、新たな場所との出会い、新たなビールとの出会いに乾杯。余韻に浸るうちに肌をなでる涼しい風がラオスの深い夜の始まりを教えてくれた。

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ビールを8本空け、満足のうちにメコン川を後にして、そのまま市街中心部へと歩いていったのだが、本当に静まり返っている。町の中心部にひっそりと佇む噴水の周りに、所在なげに撒き付けられたクリスマス用の電飾たちが、この町の静けさを一層際立てた。

すきっ腹の一行はその後何故かイタリアン料理店でピザを食べ、帰路についたのだった。


12月21日

ラオス二日目の朝は熱いシャワーにはじまった。ベトナムでは寒いのに中々暖かいシャワーにありつけず、毎日冷たい思いをしていたがラオスでは良い出だし。やはり寒い季節に地域を旅するのに暖かいシャワーは必須だ。用意を済まし宿を出て、まず向かうはベーカリー。カフェとベーカリーが一緒になっているのでそこで焼きたてのバゲットなどが食べられる美味しいお店だ。と、バゲットを食べに来たつもりだったのに久々のファーストフード店以外のハンバーガーを見て心が揺らぎ、朝っぱらからチーズバーガーとフレンチフライ、さらにもう一品たのみ、ボリューム満点。周りにいる巨体の白人のオジサマ方を見渡しても朝からこんなに食べている人は見当たらない。痩せの大食いならば良いものの、食べたら食べた分だけ身になるから困り者。苦しいお腹と共に一日のスタートを切ることに。まぁ、美味しかったから良いとしよう。

ベーカリーの隣で自転車を借りて町を回ることに。というかこの自転車ブレーキきかないですけど、という事で替えてもらった二台目は、ペダルを漕ぐ度に物凄い音を出して今にも壊れそう。ボロイ、なんてもんじゃない。一漕ぎ毎に、どっかの部品が取れているのじゃないかと本気で胸騒ぎ。実は、自転車に関してトラウマがあって、その昔、愛用車(自転車)に乗っていたら急に自転車の内部のチェーンが切れて転んでしまった。何の前触れも無く急に壊れたから事前に防止する事もできなく非常に厄介。おまけにその時、大枚はたいて買ったばかりのお気に入りのズボンを履いていて、転んだ拍子に膝を大きく擦りむいてしまい、ショックは15倍増し。これこそ泣きっ面に蜂っていうのです。あの時は本気で涙チョチョ切れたぁ。この自転車に乗っている間、始終この辛い思い出が頭を支配していた事は言うまでもない。あの時あんなにゆっくり漕いでいたのはこれのせいだったんです。ごめんなさい、みんな。.

みんなその足でマーケットにむかう。それぞれの興味が一致していないので、それぞれ別行動。私はラオスの布製品を中心に物色。ベトナムではあまりお土産らしきお土産を買わなかったが、ラオスではどうやら色々買ってしまいそうな予感。なかなか好みの小物を多く見つけ、値段も安いので、これはフトコロ警報発令だ。危ない危ない。自主規制。

その後翌日のバスチケットを買ったり、インターネットを使ったりと雑用を済ませる。この時に判明したのがタイ人の友達が今回の旅行をキャンセルしたということ。今回は少し忙しい日程になってしまうらしく断念。残念だけどまた次回という事で、私はルアンパバーンまで今の三人と一緒に旅行する事になった。

雑用を済ませたらラオス名物ハーバルサウナに向かう事に。日本語でいう薬草蒸し風呂。随分違う響きだけど内容的には同じ。ここはフランス人のオーナーが作ったというからとてもオシャレで雰囲気の良い所。古い民家を改造して作られている建物は夕暮れ時になると、オレンジがかった間接照明に照らされてなかなか趣がある。こんなにオシャレなサウナでもたったの200円。これだからラオスはやめられない。タイでもそうだが、日本との物価の格差をみると日本に帰りたくなくなる。

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ハーバルサウナ自体はとても気持ちが良いものだが、入りたがるくせに実はあまりサウナが得意ではなく5分と入っていられない私は、サウナの中で必死に気分を紛らわす為に何かしらゲームをしようと持ちかけるが、ニックに断わられつづける。ようやく始めた英語版しりとりも、熱でドロドロになった脳みそが働かず途中でストップ。やはり、しりとりはサウナの中でやるべきものではないらしい。ちなみにサウナ後のシャワーは完全なる水。そしてシャワー室の窓全開。風ぴゅーぴゅー。サウナで温まった体はどこへやら。一気に冷えた身体を温めるべく夕食を探しにサウナを後にした。

今日はちょっと奮発してフランス料理を食べに行くことに決めていた。フランス領だったラオスは食文化でもフランスの影響を色濃く受けている。ヴィエンチャンにいくつもフランス料理店があるのはそのせいだ。そういう訳で今晩はその中の一つのレストランに行こうということになった。当然の事ながら価格も日本とでは比べ物にならないほどのなので、日本ではなかなか堪能できない味を味わおうというわけだ。着いたレストランは少し家庭的な雰囲気。各々好き勝手(これキーワード)選んで好き勝手お腹いっぱい、むしろはち切れんばかり食べて大満足。スフレに始まり、牛ステーキのゴルゴンゾーラソースがけ、牛タンのトマト煮込み、グラタン、沢山のマッシュポテト、美味しいバゲット、そしてクリームブリュレ。皆で少しずつ分け合って堪能。んー、ご馳走様。『フランス料理を分け合って食べるとは、また邪道な・・!』と怒られるかと挙動不審に周りをキョロキョロしていたのも束の間。美味しさに我を忘れるにはそう時間は要らなかった。家庭的なレストランだったから、お許しを。

また腹八部ならぬ腹十二部くらい食べて帰路に着いた。うちらの飲兵衛代表ニックはゲストハウスにビールを買って帰り、お決まりのテラス席で乾杯していた。


12月22日

今日はヴィエンチャンからヴァンヴィエンへの移動日。ヴィエンチャンからバス(一応VIP)に乗ってヴァンヴィエンまで約4時間。そのバスが昼の2時発なのでそれまでは各々好き勝手にヴィエンチャンを徘徊する事に。私は用意を済まし、りえさんとベトナム料理を食べにいく。何故ベトナム料理って、ラオスにとってベトナムはお隣の国。そういうわけでラオスにもかなりベトナム文化が流入していて、街中にはいくつもべトナム料理屋が並んでいるし、いくつかのベトナム料理がラオス料理としてアレンジされて浸透しているくらいなのだ。たとえばベトナムの有名な麺料理『フォー』はラオスでは『フー』として親しまれている。

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というわけでベトナム料理に舌鼓をうち、腹ごしらえを終えた二人組みはそのままタラートサオと呼ばれる朝市に向かう。昨日4人で来た時に私はラオスの織物を使ったオーダーメイドのスカートを作ったのだ。それを受け取りに来たのだが、果たして上手く出来ているだろうか。
おぉ、これかこれか、できている、できている。
あ、ちょっと試しに履いてみても良いですか?一応ね、一応。
よいしょっと。

・・・あれ。き、昨日採寸したんだよね?これ作るために。。。お、おかしいなぁ。。。
まったくといってサイズが合ってない。。。。いや、合ってないのか、合ってたんだけど合わなくなったのか。いやはや、真実は如何に。実際ね、この旅、食べ過ぎ。毎食毎食お決まりの呪文のように『うっわぁ、食べ過ぎた。もぅ、無理。動けない。苦しい!!』って言っているのは紛れも無く私。原因あっての結果なんです、物事っていうのは。あぁ、バンコク帰ったらダイエットと言わずともこの過食をまず直さないと。

という事でちょっとしょんぼりしながらマーケットを後にして集合場所のゲストハウスへ戻る。ピックアップのミニバンに乗り、バスターミナルまで送ってもらう。ハイ、着きました、で降ろされたバスターミナル。ん?どこ?バスターミナルは?ここはどう見てもただの川沿いの一画。バスターミナルらしきものは何も見当たらない。けどミニバンの運転手の『ここで待て』の言葉を信じる限り、どうやらここがバスターミナルらしい。トイレもなければ切符売り場も無いしはたまた『バスターミナル』の看板一つない。あるのはちょっとした屋台と雄大なるメコンの流れだけ。あ、それで満足か。ラオスって国は本当に様々な期待を裏切ってくれる。良い意味で私の中で出来上がりつつある常識をほぐしてくれる。看板なんてなくったってバスターミナルなんだぃ!という事で暫くフルーツシェ-クを飲みつつ、メコン川沿いに捨てられたゴミの山を見やり、この国の将来を思う。きっとタイなんかと同じ道を歩んでいってしまうのだろう。何処へいってもゴミだらけ。まるで世界全体がゴミ箱であるかのように、人々はそこら中にゴミを捨てる事に何の抵抗感も持たない。やはり地道な啓蒙活動が必要なのだろうか。

さて、しばらく待ったらバス(一応VIP)がやってきた。どこがVIPなのか、という疑問はさておき、他の白人軍団(皆でかい)に負けじとバスに乗り込む。どんなにオンボロでもどんなに狭くても、どんなに揺れても何処でも眠れる便利な身体をもつ私は、バスが発車してしばらくしたら一人大波のように身体で弧を描きながら1時間半の眠りについたのだった。(はじめ談)どうだ、羨ましいだろう、この図太さ。ヴァンヴィエンまでは3時間半と言われているけど、基本的に東南アジアの国々において事前に知らされた所要時間で着いたためしがないので、私たちは4時間半と見積もった。が、しかし結局2時に出発して5時間。何の驚きも無い。タフになったもんだ。途中の景色はというと山間の村々を通り過ぎて、山を通り過ぎて、特にこれと言った見どころもなかったが、人々の暮らしを垣間見ることはできた。このとき既に結構冷えていて、半そでTシャツに長袖の上着二枚を重ねていたのだが、これから更に冷えていきそうだったのだが、人々の家には窓がなく、土や木、時にはコンクリート剥き出しのままのものがあり、冬の寒さを忍ばせた。おまけに村で遊ぶ子どもたち、働いている子どもたちにはボロボロに着古したTシャツ一枚に、穴の開いたような短パンだけを身につけている子も多かった。この寒さの中、彼らは家族揃って身を寄せ合ってひっそりと、かつ逞しく生きているのだろうが、それにしても辛い生活であろう事は察するに容易い。

一方私とはじめはバスの中で懐かしのメロディー(俗にいう、なつメロ。ちなみに私はずっと夏のメロディーだと思っていた。)を二人で熱唱していた。ミスチルなど小学校、中学校時によく聴いた曲を選んで歌っていた。まるで学校の遠足の気分だった。遠足でラオスとかくる学校あったら結構ハードコアだよなぁ。。。

ヴァンヴィエンに着いた。よし、宿決めよう。はい、決まった。次はご飯だ。みんなバス移動を終え、お腹が空いているので心なしか気性があらい、というわけでもないが『何でも良いから食べさせてくれ』ムード満点。そういう時に限ってなかなか良さそうな店がない。『今日は地元料理が食べたい。』というニックの要望を叶えるべく、歩き回る。しかし、ない。結局ラオスのうどんを食べて腹ごしらえをしてから改めて店を探そうという妥協策に決定。ということでまた今夜も二食食べる事がこれにて決定。だから太るんです。妥協策で入ったうどん屋。おじさん、おばさん、うちらの話すタイ語が分かっているのかいないのか、こちらもわからないままオーダー終了。取り敢えず出てきたものを食べようと思って待つ事数分。できた!これが美味い!タイのラーメンよりもベトナムのものにかなり味が似ているような気がした。米で出来た白くて丸い麺が透明なスープに入っているのだが、このスープもあっさりしているのに濃くがあってとても美味しい。野菜と多少のお肉もはいっている。さらに自分でお好みの葉唐辛子の味噌やナンプラ-、醤油、砂糖、ライムなどを入れて味付ければ、より味にバラエティがでて二倍、三倍美味しい。ニックとはじめは死ぬほど唐辛子を入れて、彼らのスープはもはや透明ではなく、真っ赤だった。よくあんなん飲めるなぁと傍観。こんな時もニックの傍らにはビアラオが光っていた。

スープヌードルのあとはまた徘徊しつつ、ラオス料理屋に入り、お決まりのラープ、激辛ソムタム、嘘モノラオステーキなどを食す。この時すでに腹十部。しかしその後もまた道端のロッティと呼ばれるパンケーキを買って食す。これに卵いれたのが本当に美味しいから皆さんお試しあれ。でもお腹いっぱいの時に無理して食べる物じゃないことは、周知の事実。はい、反省。ちなみにヴァンヴィエンはメインの旅行客が集まるエリアは一本の道沿いなんだけど、その通り沿いに凡そ20くらいはロッティの屋台があるのではと思われる。きっとここヴァンヴィエンのロッティ密度とバンコクのロッティ密度を比べたら比較にならないほどヴァンヴィエンのほうが多い。しかし、だからといってどのロッティ屋も儲かってるならばまだしも、彼らの多くは暇そうに蚊の鳴くような声で『パンケーキ、パンケーキ』と旅行客に声をかけているだけ。何とも切ないロッティ市場を目の当たりにした。もっと違う変り種でも売れば良いのに。そんなにロッティばかり食べられないよ。きっと初めてロッティ売った人が成功したから、みんな真似したんだろうね。とはじめ談。間違いない。

さて、今晩もまた同じ締めくくりだが、はちきれそうなお腹を抱えて翌日のトレッキングの予約をしてから帰路についたのだった。
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# by sykkngw | 2006-07-06 18:16 | Journey to Laos

少年とケイ。-島日記ー2

パンガン二日目はケンさんのすすめで、トンサラという船着場までいき、イカ釣り用の竿を買ってきた。威勢良く、見よう見まねでイカ釣りを始めるものの・・・
一向につれず。そのうちけいちゃんと二人で遊びだし、遊び疲れては休みながらクッキーを食べていた。随分してからケンさんとようこさんというケンさんのお友達が応戦にきてくれたので、『よし!』と景気づくものの、やっぱりつれず。

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そのうち四人でなまことったり、なまこの裁き方について口論したりしつつも、結局ようこさん案の『輪切り』ではないということしか判らず、結論は闇にほうむられ、なまこは海にほうられる。
ようこさんの第一印象の不思議でどこか神秘的な雰囲気とは大きくかけ離れたテキトー主義の天然記念物だと言うことが薄々わかってきた。なまこ、輪切りにするもんか!人は見た目によらないということを学んだ。
寒くなりつつ、意地でイカ釣りを続行していたものの、飽きやすい私と計ちゃん二人はそそくさと先に部屋にもどり、そのあと四人で夕食に出かけた。散々たべた。結局今日は島内散策して、釣れない釣りして一日が終わった。でも寝る前の星空と波の音に癒されて気持ち良く11時には就寝。極めて健康優良児。

パンガン三日目。前日にトンサラであらかじめ予約しておいたシュノーケリングツアーに参加するべく、島の正反対の海岸、ハートリンにバイクで向かう。私たちの宿泊しているところからハートリンまでは約一時間弱。しかし、その道は凸凹なんてもんじゃなく、救急急勾配の連続を走らなければハートリンにはつかないのだ。ここで多くの人が事故を起こしてると聞いていたので、二人とも不安の色をかくせない。もしも事故を起こしたら・・・怪我しても保険きかないし、修理代吹っ掛けられるし・・・・たまったもんじゃない。本当に急急急勾配なので、みんな調子乗ってスピード出してりゃそりゃこけるわ。と納得の道を私たちは亀のようにゆっくり走ってました。
安全第一です。ホント。
ジェットコースターばりの坂を時速25キロで走りぬけ、ハートリン着。しかし坂を登りつめた所から臨むハートリンの湾は美しかった。
さて、シュノーケリング主催の旅行会社で出発をまつ。時間がきたら、スウェーデンの男性3人(ゲイ疑惑あり)とタイ人夫婦とガイド、運転手と共にしゅっぱーつ。ロングテイルボートに揺られ、数十分、パンがんのとあるビーチでシュノーケリング。海の透明度+魚の色鮮やか度的にはクラビーが勝るんだけど、それでもやっぱり気持ちが良いもんだ。おっちゃんが魚に餌をやっていた為、魚が大量に集まり、その中に紛れ込むたびに時々体を魚についばまれた。シュノーケリング初体験のけいちゃんもびびっていた。そりゃびびるわ。ってかおっちゃん餌やりすぎ。おっちゃんのサービス精神が裏目にでた。

その後進みだした船の向かった先の浜でチャーハンを頂く.
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昼食後に向かったのは滝をみるスポット。浜でソンテウという小型トラックのような乗り合いバスに乗り換え、滝へ向かう。ここで今までクールキャラを装っていたガイドのオーは本性を現す。まるで水を得た魚のように誰よりもはしゃぎ、猿のようにキャッキャして岩によじ登り、木にぶら下がり、水に飛び込んでいた。ずーっと彼よりも体のでかい白人旅行客が軟弱に見えた。仕事そっちのけで楽しむ彼が何だか一番輝いていた。まぁ、そんなこともあるでしょう。

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お坊さんに連れられて、海で遊ぶ少年僧を横目に船に乗り込み、次なるビーチへ。ほぼ人気の無い美しい陸の孤島につき、スイカの端切れをもらう。みんなが浜でスイカを分け合っている時に一人でシュノーケリングに夢中になり、自分の世界に入っていたため、スイカ前線に遅れをとってしまったのだ。残念ながら、あまり物にはあまり福はなかった。

シュノーケリングしても何も見えなかった。たった一つの貝殻さえも。生き物の気配が全く感じられない、不思議に透き通った海だ。そう思っていたのも束の間、少し先で釣りをしている白人二人とガイドのタイ人を発見。いつも通りの興味本位で近づくと、白人のおっちゃんが私にも釣りをさせてくれた。すると何と二回目に放り投げた竿に見事キスが釣れた!すごい!私けっこうやるじゃん!簡単かも!

とは言いつつ、未だにイカは連れる気がしないのは、昨日のトラウマのせいでしょうか。はてさて。

ここで一つ。
世の中には見えない方が幸せなことがある。
今ゴキブリが1M先を走っていた。
見なきゃ良かった。

さて気を取り直して、本題へ。
今日は船での移動が長かった分、無防備な背中や腕は熱を持っている。というか、赤黒い。帰りのバイクのミラー越しに見える自分の腕の黒さにおったまげた。これでタイ人間違いなし。おめでとう、ありがとう。

帰るとボボかブブかロボか、よく名前は分からないけど愛嬌のあるゴールデン(口臭きつい)の歓迎を受け、私はそのままやつと砂浜で遊んでいた。ぎゃーぎゃー良いながら一人と一匹ではしゃいで寝っ転がって、海は入ってを繰り返していた。奴は無邪気で都会の犬より自由だ。走りたいときに走る。眠りたいときに眠り、笑いたけりゃ笑えばいいじゃないか。(犬も笑うのご存知ですか?)やっぱりその自然体に尽きるよな。それが本来のすべての生き物のあるべき姿なのかなと思わされる。バンコクの犬やら日本の繋がれた犬、飼われた犬などを見ていて本当に申し訳なくなる時がある。暑いアスファルト灼熱地獄を彷徨い、全て人間を基準に作られた町で肩身狭く生きている犬をバンコクでよく見かける。彼らはどんな気持ちでいるのだろう。目の前の自由な奴を見て、少し想い馳せてみた。

そして一人と一匹で心裸にして散々じゃれあって砂浜に寝転んでいたら、人生難しく考えなくても実はすっごいシンプルなのかもって思えてきた。何がそう思わせたのは未だにわからないけど。
多分、海と空の偉大さと、私と奴のちっぽけな無邪気さのコントラストがそう思わせたのかもしれない。


その後は前述した通り、ビルマ人の二人とちょっと雑談してから、夕食を外で食べようと身支度をしている時に、洋子さんの呼ぶ声が。

はーい。どうしたんだろうとけいちゃんが表に出てみたところ、ケンさんと洋子さんが夕飯を振舞ってくれるとの事!聞くところによると、二人は私たちに食べさせるために一日かけて以下を釣りにいってくれたという!何と言うことだ!思いがけない優しさが心に染みる。あったかーい。

二人が作ってくれたのは、イカの刺身とイカとトマトのパスタ!嬉し過ぎる!ってか美味し過ぎる!幸せ!愛をたっぷり感じて幸せいっぱい、腹いっぱい!
ビルマの二人も呼んで、5人で夕食を囲んで楽しく過ごした。
この時もやっぱりようこさんは相変わらずの調子で天然記念物を発揮していた。流石だ。そして時々洋子さんとケンさんは些細なことでもめだす。その時のきまずさを私とけいちゃんは楽しんでいた。

この夕食の時に、前述したようなビルマ逃亡記などの話を聞いたのだ。あの二人は元気にしているだろうか?心掛かりだ。

そんなこんなであっという間に夜も更け、最後の晩、眠りについたのだった。


翌日は午前中に、ケンさん、洋子さん、ボボかブブ、そしてビルマの二人に別れを惜しみながらも宿をでて、
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昼の船でスラータニーへむかった。夕方に着いたスラータニーの旅行会社の近くでお祭りがあり、屋台がしこたま並んでいたので、しこたま食べてきた。

バスでは寝たような寝てないような幹事で朝早くにバンコク着。お疲れ様。

うむ。背中の日焼けが消える前にまた行きたいな、パンガン島。

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# by sykkngw | 2006-04-26 18:31 | きままに旅日記。

少年とケイ。-島日記ー

3月末にけいちゃんが遊びにきてから、日記アップするするいっときながらしてなかったので、します。

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ということで早速いってみよー。

けいちゃんがタイに遊びに来て、私の授業が無いときに、どこかに遊びに行こうということになっていたのだけど、さぁて北にいこうかはたまた南に行こうか。議論に議論に議論を重ね、地球の歩き方のページをめくるたびに意見が変わり、どうにもこうにも超ド級の優柔不断を発揮しまくった私とけいちゃん。結局丸2日の議論の結果、南に決定!南に決定したは良いものの、どこにいこうか・・・・とこれまた議論に花が咲く。ってか早く決めようよ、二人っていう。
結局、素朴な島民とのふれあいを期待してKOH PHANGANに向かうべく、バンコクのカオサン通りから出発する大型バスを待つ。
夜行バスなのでお腹すくだろうと、しこたま食料買い込んで、バスを待っている間、周りで気ままにタバコふかしている欧米旅行客尻目にがむしゃらに食べていた。さぁて、バスに乗り込んでから二人で相変わらずの落ちのない漫才の調子で話をしていたら、近くの席のカナダ人に話しかけられ、最初は他愛も無い話をしていたのに、いつのまにか政治や哲学の話に発展し、思わぬところで熱くなってしまった。ふぅ。
 
さて、途中でトイレ休憩を挟んで南のスラータニーについたのは朝の6時。ね、、、、ねむい。そこで一時間半待ってからパンガン島行きの船に乗り換える。三時間もかかる。眠いのになかなか眠れずはやる海への気持ちにほだされ途中から甲板にでてみた。
が、、、暑い。
二人とも室内に戻るのが面倒くさいからか、はたまたしょうもない意地なのかそのまま甲板に残り、南の日差しの強さを肌で感じた。いや、しかしこりゃまだまだ旅のオープニングにすぎないのです。

勧誘のままにいったバンガローは安いし眺めは良いってことで、まぁ良かったんだけど、最初の言い分と話が違うってことでトラブルになって、少年ぶちぎれ。内容的にはたいしたこと無い話なんだけど、こすい相手のやり方が嫌で、ひさしぶりに金川ぶちぎれ。あ、けいちゃんごめんね。

さて、はじめの宿に苛々していたので偶然近くのみにマートでであった日本人、ケンさんの泊まっているBOVYバンガローを視察しにいってみた。静かでのーんびりしていて、一泊450円ということなので即決。部屋でて5秒で海。さいこー!

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ちなみにここの二人の従業員はビルマ人。一人はSTUKという兄さん分、もう一人は22歳のアウググー。STUKはタイにきてももう一年だけど、タイ語、英語もまだ話せない東南アジアの少数民族のひとつ、カレン族の男の人。確かに言葉は通じないけど笑顔だけは絶やさないSHYで可愛い人だ。アウググーは顔の整ったまぶしいくらいの青年でとっても勉強家。貧しい家族のために出稼ぎにタイに出てきたそう。やっぱり残してきた家族が心配といっていた。
彼ら出稼ぎにきたは良いけど、実はパスポートもなく、ここまでたどり着くには賄賂を渡して国境を越えてきた彼らは今、その弱みに付け込まれて不安定な給料あてにここで働いている。タイに来るまでにビルマのジャングルを歩いてきたときもランダムに埋め込まれている地雷を避けるようにして歩いてきた。ビルマの軍政とそれに反対する政治団体のゲリラ闘争の結果、今でもビルマ政府はジャングルに地雷を埋め続けていると言う。気に付けられた赤い印を頼りに歩いてきた彼らだが、少しでも間違えたら・・・・と考えると恐ろしい。何故、その恐ろしさ、酷さ、が嫌と言うほど証明されている現在でも、まだそれを埋め続けているのだろうか。彼らの話を聞いているとき、やり場の無い憤りに胸が熱くなった。
彼らの出身の村はブラックスポットと呼ばれ、軍によって完全にコントロールされており、外国人は訪れることが出来ないと言う。やはり国内で政府を批判すれば逮捕され、言論の自由の欠片もない。もちろん捕まったら命の保証が・・・あるわけもない。アウググーはタイでならビルマ政府の批判もできる!と嬉しそうに話してくれた。本で何度かビルマについて読んだりもしたが、その通り、いや、それ以上の苦しみが彼らを覆っていた事を見せ付けられた。

あるとき、釣り竿を会に行く私に、彼らは魚とりの網を買ってくるように頼んだ。あいにく手に入らなかった為、それを伝えると思わぬ答えが帰ってきた。
『パスポートがないから、網を買いにいくにも外に出られないんだ。』
予期せぬ言葉が胸にささった。
これを聞く前にけいちゃんと二人で、『何であの二人はいつもいつもこの敷地内にいるんだろうね?何で外にでないんだろう?退屈しないのかな?』と何気なく話していた。

違う。外に『でない』んじゃなくて『でられない』んだ。

時々この敷地内にも警察がくるらしく、そのときは身を隠さないと、不法入国、滞在の彼らを待っているのはビルマへの強制送還だ。
ビルマで不法出国したものの運命は想像に易い。

普段当たり前に享受している『自由』という言葉の重さを改めて考えさせられた。

あるとき彼らが夕食を食べているところを通りかかったとき、二人は私も誘ってくれた。夕食は他で食べる予定だったけど、せっかくなので味見だけさせてもらった。狭く暗い部屋には電気も通ってなく、ろうそく一本で、近くでとってきたであろう葉っぱの茹でもの、葉っぱと唐辛子と魚の辛炒めと白いご飯というとても質素な食事だった。
その光景を見ていてどうしようもなく、切なくなった。
何時来るとも知れない警察におびえ、ボスには弱みを握られ、郷愁の思いに打ちひしがれ、不安な日々を健気に、そして逞しく生きていた。
彼らと私のこの境遇の差は一体なんなんだろう。
厚めの空に覆われて、はっきりしない色の夕焼け空を眺めながら、世の中の不条理に思いを馳せていた。この厚ぼったい気持ちは、何も出来ないでいる自分の無力感からくるのかもしれない。


ってかけいちゃんの写真だけど、いろんな意味で犬に喰われた一枚でした。ちゃんちゃん。
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# by sykkngw | 2006-04-26 18:10 | きままに旅日記。

成分分析されてみた結果。


88%はビタミンで出来ています
8%は気の迷いで出来ています
2%は言葉で出来ています
1%は理論で出来ています
1%は成功の鍵で出来ています

何だか健康そうで良いけど、
おいおい。8%の気の迷いって。。。確かに優柔不断だけど。
言葉、と理論。すくな!
でも、最後の行読んで『にひっ』としたから
よし!

ちなみに
74%は砂糖で出来ています
18%はマイナスイオンで出来ています
5%はミスリルで出来ています
3%は言葉で出来ています

らしく、漢字とひらがなじゃ大きく違うらしいっす。
でもやっぱり言葉は大切みたい。

マイナスイオン18%もあるし、私もここらで癒し系デビューかな?
いや、刺激的な人になりたいんだけどね。
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# by sykkngw | 2006-04-16 19:30 | 徒然なるままに思う事

水もしたたる良い少年

って事で前三日間、散々水したたってきました。

タイの旧正月は、他とちょっと違います。
何が違うって。みんなクレイジーになるのです。

何でか知らんけど、取り合えず町中水浸し、この期間だけは、タイ中どこでも誰にでも水掛けていいのです。

ほら、今想像したでしょ?『きゃっきゃ』とか言いながらかわいく水掛けてる姿。

はい、大間違い。みんなでっかいバケツやら水鉄砲やら、ホースやら、水瓶やら持ち寄って、家族総出で水掛け合うのです。一歩外に出れば、はい、あなたも水も滴る良いうんちゃら間違いなし。

タイで特に有名なのが北のチェンマイというタイで二番目の都市なんだけど、ここにタイ中から人が水掛に集まるのです。いや、言ってみれば世界中から集まっちゃうのです。

どんなもんだろうと私もバンコクから夜行バスに揺られて12時間、はるばるやってきたわけです。チェンマイでバンコクで知り合った先輩とその仲間(ちなみに初対面)+私のルームメイトと落ち合ってしばらくしてから、ご飯を食べに行こうと初対面の面々に何故か私一人というメンバーで出かけたわけです。

車の中から見える水鉄砲を持った人々。おっかねー。てかわくわくー!いやぁどんなことになっちゃうんだろう、とドキドキしながら着いたレストランに入るべく車を降りた。

瞬間。

ばっちゃーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!

初対面のわりにいきなり人生について熱く語ってくれた先輩の友達の熱を冷ますかのように、文字通り、ず・ぶ・ぬ・れ。

みんな容赦ないんです。

一度ホテルに帰ってから着替えて、今度は自ら進んで参戦。
水鉄砲やらバケツやら買い込んで戦いの前線に挑む。

ルームメイトのミンと水鉄砲できゃっきゃいいながら可愛く水掛け合ってたら

後ろから、やられた。
またしてもずぶぬれ。ずぶぬれネズミはそのまま前線に向かう。
川沿いが一番人が多くてその道を埋め尽くすかのように人々が待機していてそこを歩いて通っていくのが主流。あまりの人の多さに圧倒される。そして、可愛く『新年おめでとー!』なんていって水掛けてくれる人はいいんだけど、いやぁあんたやりすぎでしょってくらいの冷たい氷水を頭からズボーーーーーーーーーーーーーーーって続けさまに五人くらいから掛けられると流石に身が縮む。ってか3センチぐらい縮んだ。くそぅ。

私は基本可愛い子好きなので、可愛いちびっ子見つけては水鉄砲でいじめてました。ちびっこだと甘く見て、これでもかというほど水鉄砲でいじってると、ちびっ子陣営の仲間たちに氷水かけられて死にそうになりました。やっぱり弱いものいじめは駄目みたいです。

ちなみに犬も参戦してました。というか為すがまま。笑。
可愛いやつらは人間の為すがまま。訳もわからず水掛けられてあたふた。そりゃそうだ。
いやぁ、でも可愛いからやめられません。

まぁそんなこんなで、2日間馬鹿みたいに水掛けては寝て、食べて、ぐーたらしながら遊んでました。そしてまた焼けました。そして機能の夜バンコクに帰ってきて気づきました。

あ、レポートやべぇ・・・・

レポートまでも水に流すことは無理みたいです。

Oh,man!


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# by sykkngw | 2006-04-15 15:57 | きままに旅日記。

バリの芸術の町、ウブド。らしい。

さて、ウブドは芸術、職人の地と言われていて、確かに多くのアートギャラリーが町に並んでいるし、バイクである道を走り抜けると、道の両脇にずっらーーーーーーーっち主に彫刻のインテリアや雑貨やが並んでいる。彫刻品などの『アジア雑貨』のREPRODUCTIONを家族総出で作っている姿をよく目にする。その雑貨屋の数たるもの、ゆうに100はこえている。でもその作品のどれも同じような物ばかりで、日本でもよく目にするものが多い。

職人の地といっても、ここまで独創性に欠けるものばかりがずらーーーっと並ぶ姿をみると流石に少しげんなりする。魂が感じられないというか、彼らの芸術家としてのプライドはどうなっているんだろう、と少し疑問に思った。これじゃまるで機械と同じじゃないか。と。

さて、そんなこんなでウブドをブラブラしていると、とあるマスクばかりうっているギャラリーにたどりつき、そこの雰囲気が好きで毎日よく入り浸っていた。その中の一つのマスクに惚れ込んでいたけど、貧乏学生の私はそこで貧乏発揮してしまい、約3500円のマスクに手が出ずにいたのだ。

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ちなみにこれは一応オリジナルという風に言われていたからなおさら好きだったんだけど。(まぁ本当に完璧オリジナルかどうかは怪しいかもね・・・)

そのギャラリーの一人と彼の生い立ちみたいなのを話していた。小さいときからREPRODUCTIONを作る家庭で育ち、物心ついたころには彫刻をしていたそう。しかし家も貧しかったから高校は自分の作ったREPRODUCTIONをうって稼いだお金で通っていたとのこと。これを聞いたとき、何か感じる物があったし、人々の独創性のない作品を一方的に攻めることもできないと感じた。かと言ってこのままで言いかといったら、違う気もする。何か新しい動きを起こしていかないと、結局周りがそれに飽きたとき、生き残れないだろうし、芯の魅力のない観光地はいずれ廃れていくものだ。

そんなことをウダウダ考えつつ雑貨、彫刻品とおりを眺めていると、如何にもバリとは関係のないアフリカや他のアジアのものなど、(バリに対する理解もない)観光客の欲する傲慢な『アジア・バリ像』に対する供給にしか過ぎない作品たちを目にし、少し悲しくなった。

需要があるから、供給がある。
のよねぇ。

↓それにしてもこのおっちゃん素敵すぎ。
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恋しちゃいます。2006 アゲイン。
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# by sykkngw | 2006-04-07 16:22 | Journey to Indonesia

ウブド散策。おなかいっぱい、むねいっぱい。

着いたウブドも実際おしゃれなブティックとかも並んでて、散歩しようと三歩あるけば三方さらぬ四方から『TAXI??』、『おねえさん、元気?』の声に囲まれる。

そんな状況にあうあうあぁぁぁぁ~ってなってる所に、同じ宿の日本人の男性とであった。宿を歩いてるときに目が合って、日本語で話しかけられてびびるくらい、彼は真っ黒に焼けていた。むしろ焦げていた。どうやらクタで2週間くらいサーフィンしてからこっちに寄りにきたそう。あぁ、なるほど。にしても黒いぞ!

インドネシア人とリアルに見分けが付かなかった。まぁ私もよく色んな人種に見間違えられるけど。久々の日本人との交流が何だか新鮮。
彼は4年間めちゃめちゃ働いた後、その金握り締めて3年間で世界一周しちゃったらしい。
いやぁ、話聞けば聞くほど世界って面白い!とわくわくしてしまう。
そして今すぐどっかに駆け出したくなってしまう。中国で寺にこもってカンフー修行したとか、ブラジルでカーニバルでたとか、インドで自分たちでゴミ拾い始めて地元の人まで巻き込んじゃったとか、インドのマザーテレサの諸家でのボランティアだとか、これまたインドで瞑想修行だとか、ネパールでヒマラヤ登っちゃったとか、聞けば聞くほど、掘れば掘るほど色々でてきちゃう面白い人材。何でもプラスに捉え、行動力に富み、すべてを自分に取り入れられちゃう人。小さな細い目は笑うたびになくなってしまうけど、いい笑顔してる。
まぁ29さいってのもあるんだろうけど、随分おおらかな人で器のでかさを感じた。
凄く尊敬できる人。いやぁ大人だなぁって本当に思う。

ちなみにそんな彼とちょっと議論になったのが以下のこと。
彼は器の大きな人目指しているらしく、感情的になることを否定していた。
私もそれは分かるし、程度にもよるけど、時に感情的になる事を否定はしない。
だって人間だもの。相田みつをじゃないけどさ。
私は人らしく素直にいればいいと思う。
でも問題はその後の対応。冷静になって反省して、それをきちんと相手に伝えるなり、ほかの解決法を見出せればいい。それが自然な人間らしい姿だと思う。
(もちろん本当に程度による。切れたりして他の人を傷つけたりするのは別の話。暴力的になるのはもっての外。もっと穏やかなレベルの話)

ウブドに着いた次の日、二人でモーターサイクルかりて、一日ウブド散策をした。市場行ってバティック買ってから、↑↓の写真の遺跡にいったり、
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ご飯たべて(これうまい!!子豚まるやきごはん。ちなみに手でいただきます◎)
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ウブドの町の中心である観光エリアから逃げるようにして村に入って行き、子どもたちやら村人たちと頑張って覚え途中のインドネシア語とバリ語と英語を駆使した会話にならない会話でコミュニケートし、皆の屈託のない笑顔に胸をなで下ろしました。
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さて、バリ1の美しい棚田を望めるスポットで止まると3,4人の小さな女の子たちがたかってきて、さぁんに鉛筆やらお土産品を売ろうとしてくる。東南アジア各国で聞きなれたはずのこの声は、いつまでたっても耳に痛い。 『ワンダラー、ワンダラー』 (1ドルということ)の気力もなく切ない音の響きには、子どもらしさは感じられず、無性に悲しくなる。そういう子どもたちに対し、しつこい物売りに囲まれた観光客としてではなく、一人の人として接したいと、いつも思う。

けれど一体どうすればいいんだろう。今回はバッグに潜ませていた画用紙と色鉛筆を子どもたちに渡して、一緒に絵を描かないかと誘ったところ、3人ともいつもとは違う変な客の対応に戸惑いつつも、嬉しそうに受け取り、みんなで並んで仲良くお絵かきしていた。
最後に彼女らの描いた絵に日本語で名前を書いてあげたらえらく喜んでた。
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さらにデジカメに興味を持っていたので、ちょっと持たせたら思い思いにバシバシと写真をとっていた。これは彼女らがとった写真。
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こうやって好奇心に目キラキラさせてる時が一番子どもらしいんだなぁ
しばらくはしゃいでいたら、奥からお母さんらしき人の『何してるのー、早く帰ってきなさい!』的な声がきこえ、彼女らはそっちに走っていった。
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# by sykkngw | 2006-04-07 16:05 | Journey to Indonesia

バリの色。  -恋慕 2006-ってことで。

バリで禁断の恋。
彼女の名前はまるちゃん。愛してやみません。
夢にまでみます。

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アボガドジュース毎日飲んでました。
茶色っぽいのはチョコレート。
このまったり感に恋しました。

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花売りのおばちゃん。
バリ・ヒンドゥーでは毎日こういったお花をバナナのはっぱで編んだ小さな籠にいれて、家の前やら軒下やらにお供えするんです。
とても華やか。
おばちゃんも華やか。。。。か?
笑顔が素敵です。
この鮮やかなバリの色彩感覚に恋しました。(本当にカラフルなんだ)

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バイクのって走り回った時に雨に降られて、雨宿り。
そこで出会ったかわいいおすましちゃん。ちっちゃいくせにいっちょ前にサロンまいちゃって、可愛いんだぁ。こいつ。
この健気な愛おしさに恋しました。

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お祭りで知り合ったバリ人のお宅訪問して、伝統衣装着せてもらっちゃいました。クバヤっていう上の薄々のレースのジャケットには色々種類があるんだけど、これはバリのもので、みんな下着の上にキャミ何もきないで、スケスケのままで町を歩いてます。。。。
おぉ・・・こりゃ男性諸君、鼻血もんだ。と人事のように思ってたら、自分もきることになり、あせる。
けど、みんな着てりゃ怖いもんない。
って事だけど、実際これ結構ぎりぎりよね?
この家族の優しさに恋しました。
ってか奥さんきれいすぎー。彼女に恋しそうになりました。
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いやぁ、移り気だな、バリにいると。www
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# by sykkngw | 2006-04-07 15:01 | Journey to Indonesia

バリでの出会い。

バリに飛んで、そっから何とかしてクタビーチまで乗り合いバスに乗り込む。トラジャで感じていた素朴でのんびりした雰囲気からは一変して『観光地』が私を出迎えてくれた。

まず庶民の足の乗り合いバスの運転手まで10倍近くの運賃ふっかけてこようとするし、しょっぱなから凹む。あぁ、バリで地上の楽園を体験、とはいかないのかも。と肩を落とす。

あまりの客引きの多さにショックをうける。『ドコイクノー?』って日本語かい!?と思わずつっこみたくなる。みんな日本語上手なんです。町で久々に多くの日本人を見て、あぁ。。。とさらに凹む。

とりあえずこんなところは抜け出したい、とシャトルバスでバリの中部のウブドへいく。たまたま隣に座っていたドイツ人のおばちゃんと仲良くなった。しっかり焼けた肌にしわが目立つものの、どこか年を感じさせない不思議な雰囲気を持つ人。ドイツでは税理士をやっているけど、一定の期間働いては、また休みを長期でとって旅行にでるらしい。今までもインド、ネパール、スリランカなどに住んだことがあるという。

話も弾んだから夕飯をともにしたんだけど、彼女はヨガとか瞑想もするらしく、仏教の話やら彼女の人生の話やらをしてとても興味深かった。そこで話していたのは以下のような内容。

-執着から苦が始まる。そしてRE-ACTではなく、まず物事をACCEPTすることが大切。受け入れてからクリアの視野でACTする。投げられたボールを打ち返すのではなく、キャッチしてから考える。そしてそこから行動する。それが大切ー

でも実際にそんなことは可能なのだろうか。ちょうどその時、レストランの隣の席に同い年か私より少し年下の男の子と、白人の男性が座って食事をしていた。私はその二人の関係がいったい何なのかがとても気になっていた。ただの知り合いにしてはどうにも不自然。先生?いや、もしや買春???
モヤモヤしたものを抱えていたのでそれをおばちゃんに伝えたら、物事に執着せず、ましてや他人の事には干渉しないこと、と返された。

でも果たしてそれが一番なのだろうか?もしかしたら正しいかもしれない。けれど私がありたい姿はそうじゃない。私は人と人との間に生きているし、それが面白い、楽しい、嬉しい、悲しい。すべて喜怒哀楽があってこその人間なんだ。人とかかわりあって人生なんだと思う。俗世を捨てた先にある平安に何があるんだろう。涅槃の浄土にこのような人生の喜びがあるのかと疑問に思っていしまう。

(もっともこれは私のような極めて恵まれた状況に暮らしている人間だからこその思いなのだろうけど。もしも苦境に立たされて暮らしていたら、このような考えは持たないだろう。)
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# by sykkngw | 2006-04-05 15:32 | Journey to Indonesia