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ラオスに抱かれる



12月23日

今日はトレッキングの日という事で9時に旅行代理店集合。寝ぼけ眼を擦りながら歩き、到着。出された卵とバゲットをかじりながら隣に座ったイギリス人と雑談。彼らは一年半くらい前にイギリスを出てからオーストラリアでワーキングホリデーで一年間働いてその後東南アジアを旅しているという。それにしてもイギリス英語なせいなのか彼ら自身の訛りのせいなのか、とてつもなく聞きづらい英語だった。それでも結構寒いのにも関わらず、季節感ゼロでタンクトップに半パンの彼らの笑顔はなかなか素敵だったので良い一日の出だしだった。それにしてもあれば寒いだろう。

迎えのバンに乗り込むと中には二人の白人の女の子たちがすでに座っていた。挨拶しても返事がなかったため、あぁそっけないのね。。と多少しょげたが、後から話してみるときちんと話ができたので良かった。彼女らはスウェーデン人の24さい、25さいの二人組みでスキーリゾート地のレストランのシェフとウェイトレスをしているとのこと。その休みを使って二人で旅行に来ているという。東南アジアでは意外と北欧の旅行者を多く見かける。多いのは韓国人、オーストラリア人、フランス人、ドイツ人、日本人、イスラエル人、北欧人、などだ。私にとってイスラエル人は未知の領域だったが、こんなに海外旅行者が多いという所からも発展が伺える。旅行をして色々な国の人と出会うのも旅行の楽しみの一つだ。

まずバンに乗せられて着いたのはとある洞窟。洞窟の中に仏像があるのでそれをざっと拝観してからスタート、とのことらしい。その洞窟の近くに猿が短いくさりで木に繋がれていた。それは本当に腹だたしかったが、更になんと村人がタバコを猿に与えていたのだ。勿論タバコなんて食べさせたら、あんなに小さい猿の身体にとってとてつもない害を与えるのは知るに容易い。怒りと共に思わず叫んでしまった。一体何を考えているのだろう、はたまた考えていないのだろうか。それともただ単にタバコを食べたら毒だという事実を知らないのだろうか。もしその事実を知らないのだとしたら本当に教育の大切さを身にしみて感じる。私たちにとって当り前の大前提としてあるような事実を知らない人々はこの世に多くいる。エイズの問題も然り、そのような問題をなくすにはまず教育が必要なのだ。

その先のどかな道を歩いて着いた先の二つの洞窟に入る。確かに鍾乳洞としてはきれいだが、これといって感動を伴わない。電気なしの洞窟の中、頭につけたヘッドライトだけを頼りに歩いていったが、このヘッドライト、乾電池とかそんなものじゃなくてバッテリーごと肩からさげて持ち歩くというちょっと古典的な代物。いやぁ、時代を感じるなぁこの国は。ちなみにこの洞窟の近くに『ガイドなしでの洞窟内への立ち入り禁止』というたて看板があったが、ガイド曰く、数年前にガイドなしで入っていった白人男性がヘッドライトのバッテリーも切れてしまい、そのまま出られなくなってしまったという。彼の亡き骸が発見されたのは洞窟に入って2週間後の事だったという。絶対に一人ではいったりしない。絶対。ラオスの洞窟で遺体となって発見、とかホント洒落にならない。

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昼食を済まし、歩く事数十分。次に着いたのは川の洞窟。洞窟マニア?って言うほど洞窟ばかり連れて行ってくれるけど、今回はちょっとすごい。川の洞窟をデカイ浮き輪に乗って探検するのだ。これは少年好奇心を駆り立てるには絶好の代物。しかし、、、想像してみよう。このデカイ浮き輪というのに乗ったところで普通に考えてお尻ずぶぬれ。どんなに器用に頑張ろうにもどうしようもない。そして、この時の水温は定かではないものの、とても冷たい事は間違いない。

『あ、俺やらない』 はい、脱落者一人。その声につられてりえさんもその場を立ち去ろうとしていたが、『こんなチャンスは滅多に無い。日本じゃできない。』と私の必死の説得の甲斐もあってか、りえさんも参加決定。実際、こんなの日本じゃできない。浮き輪にのっての探検の安全性が何も保証されてない上に更にここもバッテリー剥き出しのヘッドライトを自分で持っていかなければいけないのだ。
ん・・・どういうことか。浮き輪+水+バッテリー →落ちたら感電。
わーぉ。ヘッドライトとして頭に巻きつけてるわけだから一瞬で死ぬたりするのかな。。。そんな事を考えつつも順番がやってきた。普段は親に猿知恵と呼ばれる私も、今回はちょっと頭を使って浮き輪二段重ねでちょっとした椅子のようなものを作って乗り込む。これがなかなか安定がよくって出だし順調。他の人が『ぎゃー、お尻ぬれたぁ!』とか言っているのを横目にすいすいと進む。進み方はというと、洞窟内の順路に張り巡らされているロープを手で手繰って順路ぞいに進むというもの。最初は良いのだが最後の方は段々疲れてきた。疲れて進みが遅いとすぐ後ろを行くガイドのウィリアム(24さい)がドンドンとついてくるから急かされる。彼、冗談なのは良いけど、こっちが必死に濡れまいとしているのを知っているのに、平気な顔して水をかけてくるから、これまた変り種ガイド。こんなに無邪気なガイドには初めてあった。けれど、お願いだから水かけないで下さい。
洞窟の中は青い水が美しく、いったん中で浮き輪からでて歩き出すとそこはとても狭いくて穴の中を歩いているような感じだったため、歩くのには苦労した。りえさんはこの時来なければ良かったと内心後悔していたらしい。物凄く美しいわけでもないが、十分面白い体験をできたので満足。

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すいません。この先書いてません。
ってことでここにて失敬。
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by sykkngw | 2006-07-06 18:57 | Journey to Laos

ラオスへの道

随分と時を遡って、去年の暮れのお話。
かなり時差がひどいですが、ご了承を。

ラオス旅行記

12月19日


8時45分フアランポーン発、ノーンカイ行き。これに乗るべく8時20分に駅集合。そもそもこの旅の切欠は、当初の予定ならばそのままラオスも周る予定だった先のベトナム旅行を途中で切り上げて帰タイしたけど、すでにラオスのビザも取得していたので、ビザの有効期限の関係でこの休み中にラオスに行くのが望ましい、という事でいったのだ。しかしいつ行くか、何日間いくか、誰といくか、などの予定も曖昧なまま直前になって全てが決まったのだ。お得意のパターン。何も問題がなかったから良いものの・・・お父さん、お母さん、ごめんなさい。

今回は同時期にはじめという男の子がラオスにいくというので、最初の数日間を便乗させてもらう事にした。彼もタマサートで留学生として一緒に勉強していた仲間の一人。彼はニックというスイス人と、りえさんという日本人の女性とすでに一緒に行く予定を立てていたらしく、そこに混じってしまった。ニックもタマサートの学生なので面識はあるし、一緒に遊んだ事もあるが、まさか一緒に旅をするとは思っていなかったという仲。さらにりえさんとは全く面識がなく、全てが謎に包まれているままこの旅は始まったのだ。ちなみに19日にバンコクを出るところから始まり、23日の朝にバンコクから追ってやってくるタイ人の友達と合流する予定だ。さぁて、予定は未定、何が起きるかわからない、そんなムード満点。これも旅の醍醐味?

はい、来ました、一発目。待ち合わせの8時20分、まだ誰もいない。8時30分にはじめ、りえさんと合流。あぁ、この人がりえさんなんだ、背高い人だなぁ、なんてボヤッとしていられるのも束の間。ニック・最初のメ-ル『遅れる。』
いや、ちょっと待てよ。遅れるといっても、その時すでに8時35分。一体何分遅れるんだ。

ニック・次のメール『電車に乗る準備をしておけ。』
いや、こっちはもう出来ているけど、あなた一体どこですか?
悪い事は重なるもので、はじめとりえさんのチケットも全てニックが持っているという。慌てふためく私とりえさん片目に、このトラブルをも楽しむはじめ、只者ではない。取り敢えず、乗るか?そるか?乗ってから、車掌さんに片言のタイ語と涙目で訴えれば何とかなるさ、マイペンライ。(大丈夫。の意)タイで培われつつあるマイペンライ精神(なんとかなるさ精神)の発揮しどころ。図太く生きよう。

慌てて駅の売店で買った生ぬるいソーセージを揺らし、息を切らして、電車に飛び乗る。
車掌さん『切符はどこだ?』
はじめ&さやか&りえさん『友達が持ってるんです!でも友達遅れちゃって、まだ来ないんです!本当なんです!インディアン嘘つかないんです!』といったかどうかは別として、涙目で訴える。
あぁこんな時の為に目薬を常備しておくんだった。詰めが甘かった。
車掌さん『あぁ、そうか。わかった、わかった。マイペンライ』
おぉ!やっぱりマイペンライなのか!すごいや、タイって国は!!取り敢えずは席につき、不安げに携帯をいじる。ニック、何処(いずこ)よ・・・
ニック・メール 『次の駅で乗る』
はじめ・メール 『もう二つ目の駅過ぎたよ』
ニック・メール 『三つ目の駅で乗る』
一同 『本当かよ!』
取り敢えず、私たちにできるのは待つ事のみ。三つ目の駅。電車は容赦なく速度を落とす。遂に停車し、ホームのアナウンスが耳を掠る。
『※★≦≠∴』・・・
固唾を飲んで電車の出入り口を見守ること十数秒。闇の中、遂にあの男が現れた!この時ほどニックが輝いて見えた事はなかった。まるで赤いビロードの絨毯を歩いているかのように、乱れた髪を振りかざしながらも堂々とこちらに向かってくるのは、紛れもなくニック、その人だった。
感動の再会も束の間、たどり着くまでの過程を聞いて驚いた。彼は何とまるで映画のスターかのようにバンコクからバイクタクシーをかっとばして来たと言う。電車より早いの?!そりゃ髪の毛も乱れるわけだ。おまけに500バーツ払ったと言うから、さらに驚嘆。500バーツといったら日本円にして1500円くらいだけど、ここはタイ。この寝台列車が420バーツだからそれよりも高い。恐れ入りました。この夜、彼は『Nothing is impossible』といことを身をもって証明してくれた。ありがとう。少し勇気をもらった夜だった。

初対面のりえさんともボチボチ会話の糸口を見つけつつ、話を進める。それにしても異色の四人組だな。この先なにがあるか分からない。そんな謎めいた匂いのする旅の始まりの夜を締めくくるのはビールだった。どうやら皆ビール好き。各々ビールを持ち寄り、ニックは更に車内販売のビールも購入し、飲む。そして赤くなり、ちょっと気持ちよくなる。というかビール買って持ってくる暇あったら時間通りに来ようよ。まぁ、終わり良ければ全てよし、ということでマイペンライにて幕を閉じた一日目の夜だった。


12月20日


寒い、寒いぞ。もぞもぞ。オンボロ電車の隙間風に体温を奪われ、何度となく目を覚ます。三人はノーンカイについてからビザ申請の為に旅行代理店を通す。この時に私は帰りの電車のチケットも予約。しかしタイ人の友達の予定がまだ良く分からないので仮押さえにしておく。それからイサ-ン料理を食べに繰り出すものの、嫌な予感。ニック、はじめの二人は辛い物好き。りえさんも苦手じゃない。私、どうしましょう。結構肩身が狭い。あぁこれから辛いものいっぱいのラオス料理が待っている。過酷な旅となるかもしれない。覚悟をきめた。

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陸路にて国境を越え、ラオスの首都、ヴィエンチャンに向かう。『Hello, TAXi,TAXI!』の声に付いて行って乗せられたのは古い洋車。これがまた年季が入っている年代モノで、もしや植民地時代から・・・とその歴史を偲ばせる佇まいだった。国境を越えてすぐに景色が一変するかというと、そういうわけでもなく相変わらず東南アジアの田舎町の一角、という様子だった。

いや、おかしい。国境から首都まではそう遠くないはず。タクシーでものの30分くらいで市街に着くはずだ。首都から車で約30分の所ですでにこの様子。一体首都はどんな町なんだろう。

ドライバーに着いた、と言われ降り立ったヴィエンチャンの中心部は小さな町。そして人もあまり見えない。確かにゲストハウスや横文字でかかれた看板はちらほら目につくものの、本当に国で一番の都市なのだろうか、という位静かな町だ。それでもバンコクのゴミゴミした環境に嫌気が差し始めている私にはこれ位静かな町の方が心地よく感じられた。

宿を決め、初めての観光に乗り出した一行は手始めにワット・シーサケットにいった。どこかで聞いた名前だ。地図を見るとそこらに点在する寺院の名前の多くはタイでもお馴染みの名前ばかりだった。ちなみにラオス語はタイ語と酷似していて、さらにラオス人はタイのテレビを見ているのでタイ語が話せるのだ。それは今回の私たちの旅に非常に役にたった。交渉でも、世間話でも、何でもタイ語で話せるのでよりスムーズに旅ができた。ワット・シーサケットは過酷な歴史を経たにも関わらず、ビエンチャンで一番保存状態がいいと言われている寺院だ。寺院自体は割と小さく、首都で一番の寺、というには多少物足りない様にも感じられた。やはりタイでいつも豪華絢爛な寺院に見慣れてしまっているせいだろうか。しかしこの国の歴史を思い返せば、それも無理はない。ずっとフランスの植民地支配を受けて、更にその後は内戦、アメリカの爆撃などを経て現在に至っているのだ。そんな中でこれらの寺院を何とか守り続けるだけでも至難の業だ。境内の至る所に傷跡は残り、特に無惨だったのが、フランス軍や内戦によって傷つけられ、手足、頭、砕け散った仏像が一箇所に無造作に積み重ねられていた光景だ。もし彼らの声が聞けたのならば、きっと静かに偲び泣いているだろう。歴史の証人は物言わずとも、この国の背負ってきた歴史の悲惨さを表していた。

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さて、寺院見物を終え、散歩でもしようという事で繰り出したは偉大なるメコン川。川沿いに並べられた椅子に座ってビアラオ(ラオスビール)を頼めば、そこは立派なビアガーデン。ビアラオを飲むのは、一度友達がラオスに行ったときに買って持って帰ってきたのを頂戴した時以来だ。ビアラオと雄大なメコンの流れの組み合わせに感動し、はしゃぐ一行。カンパーイ!いやぁうまいねぇ、ビアラオは。そしてたまらないね、メコン川。ゆっくりと、しかし着実に太陽が西に吸い込まれるように沈み始めると、それまで青く澄み渡っていた空が少しずつ桃色に色づき始め、太陽はオレンジがかりラオスの一日の終わりを光で包んでいった。ビアラオのグラスの中に太陽を捉え、太陽ごと飲み干すと、夜がやってきた。この日暮れとメコン川とビアラオと異色の四人の取り合わせ。新たな人との出会い、新たな場所との出会い、新たなビールとの出会いに乾杯。余韻に浸るうちに肌をなでる涼しい風がラオスの深い夜の始まりを教えてくれた。

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ビールを8本空け、満足のうちにメコン川を後にして、そのまま市街中心部へと歩いていったのだが、本当に静まり返っている。町の中心部にひっそりと佇む噴水の周りに、所在なげに撒き付けられたクリスマス用の電飾たちが、この町の静けさを一層際立てた。

すきっ腹の一行はその後何故かイタリアン料理店でピザを食べ、帰路についたのだった。


12月21日

ラオス二日目の朝は熱いシャワーにはじまった。ベトナムでは寒いのに中々暖かいシャワーにありつけず、毎日冷たい思いをしていたがラオスでは良い出だし。やはり寒い季節に地域を旅するのに暖かいシャワーは必須だ。用意を済まし宿を出て、まず向かうはベーカリー。カフェとベーカリーが一緒になっているのでそこで焼きたてのバゲットなどが食べられる美味しいお店だ。と、バゲットを食べに来たつもりだったのに久々のファーストフード店以外のハンバーガーを見て心が揺らぎ、朝っぱらからチーズバーガーとフレンチフライ、さらにもう一品たのみ、ボリューム満点。周りにいる巨体の白人のオジサマ方を見渡しても朝からこんなに食べている人は見当たらない。痩せの大食いならば良いものの、食べたら食べた分だけ身になるから困り者。苦しいお腹と共に一日のスタートを切ることに。まぁ、美味しかったから良いとしよう。

ベーカリーの隣で自転車を借りて町を回ることに。というかこの自転車ブレーキきかないですけど、という事で替えてもらった二台目は、ペダルを漕ぐ度に物凄い音を出して今にも壊れそう。ボロイ、なんてもんじゃない。一漕ぎ毎に、どっかの部品が取れているのじゃないかと本気で胸騒ぎ。実は、自転車に関してトラウマがあって、その昔、愛用車(自転車)に乗っていたら急に自転車の内部のチェーンが切れて転んでしまった。何の前触れも無く急に壊れたから事前に防止する事もできなく非常に厄介。おまけにその時、大枚はたいて買ったばかりのお気に入りのズボンを履いていて、転んだ拍子に膝を大きく擦りむいてしまい、ショックは15倍増し。これこそ泣きっ面に蜂っていうのです。あの時は本気で涙チョチョ切れたぁ。この自転車に乗っている間、始終この辛い思い出が頭を支配していた事は言うまでもない。あの時あんなにゆっくり漕いでいたのはこれのせいだったんです。ごめんなさい、みんな。.

みんなその足でマーケットにむかう。それぞれの興味が一致していないので、それぞれ別行動。私はラオスの布製品を中心に物色。ベトナムではあまりお土産らしきお土産を買わなかったが、ラオスではどうやら色々買ってしまいそうな予感。なかなか好みの小物を多く見つけ、値段も安いので、これはフトコロ警報発令だ。危ない危ない。自主規制。

その後翌日のバスチケットを買ったり、インターネットを使ったりと雑用を済ませる。この時に判明したのがタイ人の友達が今回の旅行をキャンセルしたということ。今回は少し忙しい日程になってしまうらしく断念。残念だけどまた次回という事で、私はルアンパバーンまで今の三人と一緒に旅行する事になった。

雑用を済ませたらラオス名物ハーバルサウナに向かう事に。日本語でいう薬草蒸し風呂。随分違う響きだけど内容的には同じ。ここはフランス人のオーナーが作ったというからとてもオシャレで雰囲気の良い所。古い民家を改造して作られている建物は夕暮れ時になると、オレンジがかった間接照明に照らされてなかなか趣がある。こんなにオシャレなサウナでもたったの200円。これだからラオスはやめられない。タイでもそうだが、日本との物価の格差をみると日本に帰りたくなくなる。

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ハーバルサウナ自体はとても気持ちが良いものだが、入りたがるくせに実はあまりサウナが得意ではなく5分と入っていられない私は、サウナの中で必死に気分を紛らわす為に何かしらゲームをしようと持ちかけるが、ニックに断わられつづける。ようやく始めた英語版しりとりも、熱でドロドロになった脳みそが働かず途中でストップ。やはり、しりとりはサウナの中でやるべきものではないらしい。ちなみにサウナ後のシャワーは完全なる水。そしてシャワー室の窓全開。風ぴゅーぴゅー。サウナで温まった体はどこへやら。一気に冷えた身体を温めるべく夕食を探しにサウナを後にした。

今日はちょっと奮発してフランス料理を食べに行くことに決めていた。フランス領だったラオスは食文化でもフランスの影響を色濃く受けている。ヴィエンチャンにいくつもフランス料理店があるのはそのせいだ。そういう訳で今晩はその中の一つのレストランに行こうということになった。当然の事ながら価格も日本とでは比べ物にならないほどのなので、日本ではなかなか堪能できない味を味わおうというわけだ。着いたレストランは少し家庭的な雰囲気。各々好き勝手(これキーワード)選んで好き勝手お腹いっぱい、むしろはち切れんばかり食べて大満足。スフレに始まり、牛ステーキのゴルゴンゾーラソースがけ、牛タンのトマト煮込み、グラタン、沢山のマッシュポテト、美味しいバゲット、そしてクリームブリュレ。皆で少しずつ分け合って堪能。んー、ご馳走様。『フランス料理を分け合って食べるとは、また邪道な・・!』と怒られるかと挙動不審に周りをキョロキョロしていたのも束の間。美味しさに我を忘れるにはそう時間は要らなかった。家庭的なレストランだったから、お許しを。

また腹八部ならぬ腹十二部くらい食べて帰路に着いた。うちらの飲兵衛代表ニックはゲストハウスにビールを買って帰り、お決まりのテラス席で乾杯していた。


12月22日

今日はヴィエンチャンからヴァンヴィエンへの移動日。ヴィエンチャンからバス(一応VIP)に乗ってヴァンヴィエンまで約4時間。そのバスが昼の2時発なのでそれまでは各々好き勝手にヴィエンチャンを徘徊する事に。私は用意を済まし、りえさんとベトナム料理を食べにいく。何故ベトナム料理って、ラオスにとってベトナムはお隣の国。そういうわけでラオスにもかなりベトナム文化が流入していて、街中にはいくつもべトナム料理屋が並んでいるし、いくつかのベトナム料理がラオス料理としてアレンジされて浸透しているくらいなのだ。たとえばベトナムの有名な麺料理『フォー』はラオスでは『フー』として親しまれている。

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というわけでベトナム料理に舌鼓をうち、腹ごしらえを終えた二人組みはそのままタラートサオと呼ばれる朝市に向かう。昨日4人で来た時に私はラオスの織物を使ったオーダーメイドのスカートを作ったのだ。それを受け取りに来たのだが、果たして上手く出来ているだろうか。
おぉ、これかこれか、できている、できている。
あ、ちょっと試しに履いてみても良いですか?一応ね、一応。
よいしょっと。

・・・あれ。き、昨日採寸したんだよね?これ作るために。。。お、おかしいなぁ。。。
まったくといってサイズが合ってない。。。。いや、合ってないのか、合ってたんだけど合わなくなったのか。いやはや、真実は如何に。実際ね、この旅、食べ過ぎ。毎食毎食お決まりの呪文のように『うっわぁ、食べ過ぎた。もぅ、無理。動けない。苦しい!!』って言っているのは紛れも無く私。原因あっての結果なんです、物事っていうのは。あぁ、バンコク帰ったらダイエットと言わずともこの過食をまず直さないと。

という事でちょっとしょんぼりしながらマーケットを後にして集合場所のゲストハウスへ戻る。ピックアップのミニバンに乗り、バスターミナルまで送ってもらう。ハイ、着きました、で降ろされたバスターミナル。ん?どこ?バスターミナルは?ここはどう見てもただの川沿いの一画。バスターミナルらしきものは何も見当たらない。けどミニバンの運転手の『ここで待て』の言葉を信じる限り、どうやらここがバスターミナルらしい。トイレもなければ切符売り場も無いしはたまた『バスターミナル』の看板一つない。あるのはちょっとした屋台と雄大なるメコンの流れだけ。あ、それで満足か。ラオスって国は本当に様々な期待を裏切ってくれる。良い意味で私の中で出来上がりつつある常識をほぐしてくれる。看板なんてなくったってバスターミナルなんだぃ!という事で暫くフルーツシェ-クを飲みつつ、メコン川沿いに捨てられたゴミの山を見やり、この国の将来を思う。きっとタイなんかと同じ道を歩んでいってしまうのだろう。何処へいってもゴミだらけ。まるで世界全体がゴミ箱であるかのように、人々はそこら中にゴミを捨てる事に何の抵抗感も持たない。やはり地道な啓蒙活動が必要なのだろうか。

さて、しばらく待ったらバス(一応VIP)がやってきた。どこがVIPなのか、という疑問はさておき、他の白人軍団(皆でかい)に負けじとバスに乗り込む。どんなにオンボロでもどんなに狭くても、どんなに揺れても何処でも眠れる便利な身体をもつ私は、バスが発車してしばらくしたら一人大波のように身体で弧を描きながら1時間半の眠りについたのだった。(はじめ談)どうだ、羨ましいだろう、この図太さ。ヴァンヴィエンまでは3時間半と言われているけど、基本的に東南アジアの国々において事前に知らされた所要時間で着いたためしがないので、私たちは4時間半と見積もった。が、しかし結局2時に出発して5時間。何の驚きも無い。タフになったもんだ。途中の景色はというと山間の村々を通り過ぎて、山を通り過ぎて、特にこれと言った見どころもなかったが、人々の暮らしを垣間見ることはできた。このとき既に結構冷えていて、半そでTシャツに長袖の上着二枚を重ねていたのだが、これから更に冷えていきそうだったのだが、人々の家には窓がなく、土や木、時にはコンクリート剥き出しのままのものがあり、冬の寒さを忍ばせた。おまけに村で遊ぶ子どもたち、働いている子どもたちにはボロボロに着古したTシャツ一枚に、穴の開いたような短パンだけを身につけている子も多かった。この寒さの中、彼らは家族揃って身を寄せ合ってひっそりと、かつ逞しく生きているのだろうが、それにしても辛い生活であろう事は察するに容易い。

一方私とはじめはバスの中で懐かしのメロディー(俗にいう、なつメロ。ちなみに私はずっと夏のメロディーだと思っていた。)を二人で熱唱していた。ミスチルなど小学校、中学校時によく聴いた曲を選んで歌っていた。まるで学校の遠足の気分だった。遠足でラオスとかくる学校あったら結構ハードコアだよなぁ。。。

ヴァンヴィエンに着いた。よし、宿決めよう。はい、決まった。次はご飯だ。みんなバス移動を終え、お腹が空いているので心なしか気性があらい、というわけでもないが『何でも良いから食べさせてくれ』ムード満点。そういう時に限ってなかなか良さそうな店がない。『今日は地元料理が食べたい。』というニックの要望を叶えるべく、歩き回る。しかし、ない。結局ラオスのうどんを食べて腹ごしらえをしてから改めて店を探そうという妥協策に決定。ということでまた今夜も二食食べる事がこれにて決定。だから太るんです。妥協策で入ったうどん屋。おじさん、おばさん、うちらの話すタイ語が分かっているのかいないのか、こちらもわからないままオーダー終了。取り敢えず出てきたものを食べようと思って待つ事数分。できた!これが美味い!タイのラーメンよりもベトナムのものにかなり味が似ているような気がした。米で出来た白くて丸い麺が透明なスープに入っているのだが、このスープもあっさりしているのに濃くがあってとても美味しい。野菜と多少のお肉もはいっている。さらに自分でお好みの葉唐辛子の味噌やナンプラ-、醤油、砂糖、ライムなどを入れて味付ければ、より味にバラエティがでて二倍、三倍美味しい。ニックとはじめは死ぬほど唐辛子を入れて、彼らのスープはもはや透明ではなく、真っ赤だった。よくあんなん飲めるなぁと傍観。こんな時もニックの傍らにはビアラオが光っていた。

スープヌードルのあとはまた徘徊しつつ、ラオス料理屋に入り、お決まりのラープ、激辛ソムタム、嘘モノラオステーキなどを食す。この時すでに腹十部。しかしその後もまた道端のロッティと呼ばれるパンケーキを買って食す。これに卵いれたのが本当に美味しいから皆さんお試しあれ。でもお腹いっぱいの時に無理して食べる物じゃないことは、周知の事実。はい、反省。ちなみにヴァンヴィエンはメインの旅行客が集まるエリアは一本の道沿いなんだけど、その通り沿いに凡そ20くらいはロッティの屋台があるのではと思われる。きっとここヴァンヴィエンのロッティ密度とバンコクのロッティ密度を比べたら比較にならないほどヴァンヴィエンのほうが多い。しかし、だからといってどのロッティ屋も儲かってるならばまだしも、彼らの多くは暇そうに蚊の鳴くような声で『パンケーキ、パンケーキ』と旅行客に声をかけているだけ。何とも切ないロッティ市場を目の当たりにした。もっと違う変り種でも売れば良いのに。そんなにロッティばかり食べられないよ。きっと初めてロッティ売った人が成功したから、みんな真似したんだろうね。とはじめ談。間違いない。

さて、今晩もまた同じ締めくくりだが、はちきれそうなお腹を抱えて翌日のトレッキングの予約をしてから帰路についたのだった。
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by sykkngw | 2006-07-06 18:16 | Journey to Laos