インドネシアの桃源郷

さて、トラジャについて書いていたところだったよな。

あ、更新遅いけどもう既にタイかえって来ました。1週間以上前に。ということで振り返って書いてみます。
トラジャは本当にのどかで、静かで、人々はのぉんびりしてて、私にとって人間のあるべき姿を思わせる素敵なところ。

ある日山に行こうということでトラじゃの中心地から乗り合いミニバスに乗り込み、山まで1時間走って、その山の上で一泊したんだ。
その山の上からの眺めは絶好。遠くに見える山の腹部から雲がかかり、青々とした棚田を覆ってる。ところどころ薄く霞がかったあたりから、苗の青が顔を覗かせたりと、時の移ろいに応じて姿を変えていった。

その直後、雲行きが怪しくなると直後に雷を伴うスコール。電気も止まり、近くに落ちた雷とどしゃ降りの雨におびえながら、シャワーを浴びようと身の縮むような冷たい水を大きな水がめからすくい上げ、体にかける。『ふっ』!と覚悟を決めて水をかけるものの、冷たすぎる。標高1200Mでの水シャワーはたまらない。

さらに服を着替えるときに日焼けがいたい。容赦なく照りつけるトラジャの日を体いっぱいに浴びながら丸二日間バイクで村々を回っていたのだから当然。
しばらくすると雨はやみ、空は鮮やかな絵の具をぶちまけたキャンバスのようになっていた。
雨に耐えたご褒美とでも言わんばかりの美しい光景に花をそえるように、虹がかかっていた。

翌日山の上から徒歩で下山したときの眺めは絶好。桃源郷を思い起こさせる。
とても静かで澄み切った空気に、青い空。繊細な輪郭を時の移ろいとともに変化させる雲、鶏の声の合間に子ども達の笑い声が耳をかすり、それらを包むかのようにやわらかく透明な風が村をなでる。
棚田からこぼれる水が岩を伝って小さなせせらぎとなり、軽やかな音とともに村を流れていく。

そんな山の村を歩いていたら水牛の向こうに二人の小さな女の子がこちらを好奇心いっぱいの目で伺っていた。6,7歳くらいかな。目が合ったからニッコリ笑いかけると、嬉しそうに、そして恥ずかしそうに照れてキャラキャラ笑っていた。
『HELLO!』 と声をかけても同じ反応。そのシャイなあたりがたまらなく可愛い。まるで得体の知れない生き物を見ているかのように私を見ていた。一緒にあるこうよ、と手招きしてもクスクス笑うだけ。
それでも『写真を撮っていい?』とたずねカメラを向けると嬉しそうに笑っていた。

いやぁ。素朴だな。
素朴って本当に大切だなとつくづく思う。
ここにいると、飾り立てることの意味が本当に分からなくなる。
外見を飾ることの意味の希薄さももとより、必要以上の見栄をはったり、余計なプライドをもったり、世間体だとか、そういうのに縛られて生きたくないな、と思う。

そりゃ日本に生きている限り、全くこれらに捉われずに生きることは無理かもしれないけど、でもできる限りでナチュラルに素朴に生きたいなと思う。

無駄なプライドや傲慢な自尊心は捨てちまえ。
(自尊心とプライドは同じかもしれないけど、私の中でニュアンスが違うので使い分けてます。)

そして、謙虚な自尊心を忘れずに。

これ、人生のテーマね。そしてインドネシアでいっぱいかんじたこと。
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by sykkngw | 2006-04-05 15:11 | Journey to Indonesia
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